冬の雑文

12/8の札幌ライブについて、なんとなくツイートをしようと文章を書き出したら、ツイートできる140文字を遥かに超えてしまった。推敲もしていない文章だけど、日記ページにアップします。

8年前、シュリスペイロフとacariは下北沢で対バンをして出会った。その頃、僕たちはどこか孤立していたし、仲がよいバンドはいなかった。いつもライブハウスの隅でメンバー3人ちっちゃく固まっていた。下北沢のライブハウスを出て、打ち上げ会場でたまたま宮本さんと隣の席になった。人見知り同士の会話。何を話したかほとんど覚えていない。歌詞が先かメロディが先か、のような話をしたような記憶が薄っすらとある。

帰り際、宮本さんと携帯電話で連絡先を交換することになった。僕が「遠赤外線通信です」と言ったら、宮本さんが「それはあったかいやつです」と言った。なんとなくこの人は信頼できるんじゃないかと思い、連絡先を交換した。それから数年後、宮本さんからメールが届いた。「上京するので、また遊びましょう☆」と書かれていた。本文に「☆」が入っていることもあり、ライトな感じで「ライブかなにかで来るんかなあ?」と思っていた。数日後、電話がかかってきて「中野富士見町に住もうと思うんだけどどうかな?」と聞かれた。僕は当時、賃貸不動産情報を毎夜インターネットで調べるのが趣味だったため、都内の賃貸不動産知識はそれなりにあった。「中野富士見町には相撲部屋があります」と答えた。

その後、僕の住んでいた街の近くに住むことになった。宮本さんの引っ越し当日、電話がかかってきて、上京初日に一緒にごはんを食べにいった。そのときのうれしかった気持ちを覚えている。その後、お互い忙しくなったりして、近所にいるのになかなか会う機会がなかった。半年後に原宿で一緒にライブをした。ライブの後、はじめてごはんを食べた街でごはんを食べた。それから数年後、僕は京都に引っ越しをした。

あるとき僕が「東京に戻ってきたら嬉しい?」とまるで彼女のような質問をした。後々何かあるたびにいじられるこの質問だが、当時の僕はひとつでも多く東京に戻ってくる理由が欲しかったのかもしれないし、近くに引っ越してきてくれたのに、京都へ引っ越してしまった後ろめたさもあったのかもしれない。東京に戻ってきてもうすぐ一年、また近所に住んでいる。近所に住んでいるが、そんなに頻繁に会ったりはしない。お互いのライブを観に行ったり、よいタイミングで近況を話したり、文句を聞いてもらったりをしている。

9月に予定していた札幌のライブが地震の影響で延期になった。僕の部屋にはテレビがなく地震に気づいたのは朝9時頃だった。すぐに苫小牧に滞在している宮本さんにメールをした。すぐに返信があって無事が確認できた。ただ、すぐ携帯の電波が届かなくなり連絡が途絶えた。その後は宮本さんのお父さんの携帯とメールのやりとりをした。会場のムジカホールカフェは停電をしているらしい。交通機関が運休していることもあり、相談した結果、残念だがライブの延期を決めた。翌日、ライブ延期のお知らせをツイッターに書いた。お知らせをした後、力が抜けてしまって、情けないが部屋で寝込んでしまった。辛いのは北海道に住む人達なのに、励ましのリプライがツイッターにたくさん届いていた。救われる気持ちだった。

9月の『Summer Soft Cream』リリース後、いろいろと思うことがあったり、年内最後のライブということもあり、土曜の札幌ライブでひとまず締めくくりの気持ちが強い。考えはまとまっていないし、来年のことはまだ何も決まっていないけど、少しでも興味を持ってくれている人に、もっと楽しんでもらえるような活動をしていきたいと思う。 札幌へ行くのは2年ぶり、はじめての雪の札幌、根拠はないがいいライブになる予感がある。明日、無事に飛行機が飛びますように。